駄菓子屋を利用することの教育的意義

 

今日は、子どもたちを連れて駄菓子屋へ行ってきた。
駄菓子屋といえば私が子どものころは人気があり、どの地域にもあった。しかし、個人商店として営業している店は、地域では見かけなくなり、わざわざターミナル駅に入っている店舗へと出かけなければならない。また、最近は、駄菓子もAmazonなどの通販で購入でき、いわゆる大人買いが可能である。
駄菓子屋を利用してみて、子どもたちの喜ぶ姿やしたたかさなどが見てとれたので分析と記録をしておきたい。

駄菓子屋を利用する動機

  1)遠足

 小学生の娘は、学校から遠足の予定が知らされると、駄菓子屋へ行きたいといつもいう。
おやつは、200円までと学校から指定されるからだ。値段の指定は今も昔も変わらない。
 200円を握りしめて、大手スーパーへ行ったところで、なかなか50円以下のお菓子はなく、大した品数を買うことができないのは子どもも分かっている。
 せっかくの遠足なので、限られた予算で最大限の欲求を満たしたいのだ。
 では、その欲求とは何か。

  2家庭用

 交渉すれば、ついでに家庭用に自分で食べるお菓子を購入できることも子供にとって意義がある。特に、わざわざ、出かけてきて駄菓子屋に来たのであれば、子どもが遠足とは別で購入したいといった時に、無碍にしない大人は多い。家庭用に購入して数日に分けて食べるように言い聞かせ買ってしまうであろう。
 ハレの日とケの日という言葉があるが、駄菓子屋は、子どもにとってハレの日であり、それについていった大人にとってもハレの日になっているので、普段のお菓子ではない、特別な関係性が起こる。

限られた予算で最大限の欲求を満たす

  1欲求

 駄菓子屋で子どもが満たしたい欲求の一つは、数である。
小さくともたくさんもっているとそれだけでうれしい。また、チョコ、ヨーグルト、ポテトフライ、するめ、フルーツ餅、ラムネなど種類があると、いろいろな味をたのしめ、楽しみが増える。
 アレルギーの問題があるので禁止かもしれないが、数があれば友達と交換もできる。
さらに組み合わせも重要であり、2種類の味を混ぜながら食べるのを楽しみにしている子どももいるであろう。
 また、予想できない味を考え、におい、柔らかさ、音、みためで判断し、未知のものを購入するか迷い、実際の遠足で期待値どおりだったのか確かめる。
 遠足に行くと少し疲れており、友達と和気あいあいとしている特別な状況で食べるので、多くは、期待値よりもおいしく感じるであろう。
 そして、なにより、これらの欲求を満たす準備をして遠足に臨み、友達とその思いを共感しあうのことが、子ども心に大切なのであろう。

  2計算

 予算を学校から指定されているので、そこからはみ出すと、先生から注意をされると思っている子どもは予算内で欲求を満たすために最大限の努力と駆け引きをする。
 2.1で述べた、数、種類、未知へのチェレンジを最大限に満たせる組み合わせを予算内で考え、値段を計算しては、組み合わせを試行錯誤する努力を行う。
 最高の結果は、予算とほぼ同じ値段になる組み合わせを見つけることだが、消費税もありはっきり言って難しい。たいていは予算オーバーする。
 オーバーしたときに、何%なら許容範囲なのかを大人に相談し、許容範囲を大きく超えると今度は家で食べる分にするといった駆け引きを大人に対して行う。こうした経験も時には大切に私は思う。
 なお、こうした計算ができるのは、小学生になってからであり、一緒についてきた幼稚園児は、自分の欲求と私の顔色を交互にみて買うものを決めていたのが印象的であった。

誰と行くのかその理由

 駄菓子屋へ行くときに子どもは、妻ではなく、必ず、私にいう。もう少し幼少のときはその理由を言語化できなかったが、最近では、その理由もはっきりという。
 「遠足用と家用を買ってくれて、帰りにジュースなどを飲ませてくれるから」だと。
 自分の欲求を自分で見つめ、どの大人を同伴者に指名し、どのような言葉がけをすれば、期待値どおりに行動してくれるか子どもはよく知っている。
 しかしながら、こうした自身の欲求を自分で知り、大人と交渉する経験は学習過程において重要だと思う。
 大げさかもしれないが、駄菓子屋へ行くことには、子どもの学習における様々な要素がつまっている。

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