作文嫌いな子どもと文章を書く方法

 


 先日、遠足へ行ってきた小学校低学年の子ども。遠足の出来事を原稿用紙2枚分の作文にするようにと宿題が出て、途方に暮れていました。全く手がつけられず、取りかかるように促しても機嫌が悪くなるだけです。
 そこで、作文へのフォローを入れることにしました。すると、スラスラと自分の思ったことや意見も出てきて、下書きと清書が完成しました。この経験をもとに、子どもはなぜ途方に暮れていたのか、どのようなフォローを入れたのか、子どもが作文嫌いになるのかということについて書いてみました。

作文の宿題が出て途方に暮れる子ども

 原稿用紙2枚分、800文字も作文の宿題を課せられた小学校低学年の子どもが途方に暮れていました。もちろん、1年生のころから文字を習い、文章を習い、国語では音読を行い、それなりの文法も習い、書く技術は持っています。禁則処理もパソコンに頼っている私よりもよく知っています。しかし、途方に暮れているのです。
 何から手をつければいいのか、書き出しをどうすればよいのか、ほとんど浮かばないようです。800文字をどうして埋めたらいいのかも分からない状態です。
 基本的な文法や音読の理解をすることと、自分の経験やそこから感じたことを書きだすことは、全く異なる力です。さらに、経験を文字化するような作文では、書き出される内容を順序だてて書くということが求められます。読書感想文のように、原文をもとに自分の感想を書いていくものよりも、経験を文字化する作文の方が高度な技術が要求されます。
 突然、800字も書くように言われると途方にくれることでしょう。

文章を書くために必要だったフォロー

 1)出来事を言語化する

 まず、子どもに大人は手伝ってあげる立場であり、大人自身が経験したことではないので代わりに書いてあげることはできないことをしっかりと認識させることが必要です。そのあとで、とりあえず子ども自身が思ったことを言うように伝えます。
 そして、一緒に考えるというスタンスを崩さずに、想像できる範囲で、起こりうる出来事について、あまり大人の先入観を入れずにインタビューしていきます。
 「遠足へ行くことを聞いたのはいつ?」
 「学校からどうやって目的地まで行ったの?」
 「歩いていくときは誰かと一緒だったの?」
 「おしゃべりはしてよかったの?」
 「遠かったの?」
 「乗り物にはどうやって乗ったの?」
 「お弁当はどうだったの?」
 「どんな遊びをしたの?」
 一例ですが、このように聞いていくと、一日の出来事のイメージを大人側も共有することができます。ただ、どのくらい詳細に聞くのか、深めるのかは少し技量が必要かもしれません。回答するのに子どもが疲れ切ってしまっては元も子もありません。

 2)出来事についてどう思ったのか聞く

 次に、インタビューによって出てきた出来事について、どんな感情を持ったのか聞いていきます。そして、”なぜ”そのように思ったのかを尋ねます。
 「大人:遠足へ行くって聞いてどう思った?」→
 →「子ども:嫌だった」→
 →「大人:なんで?」→
 →「子ども:いっぱい歩くって聞いたから」→
 →「大人:行ってみてどうだった?」→
 →「子ども:しんどかった」→
 →「大人:しんどかったけど良かったと思うことはなかったの?」→
 →「子ども:お弁当がおいしかった」→
 →「大人:いつもよりもおいしかった?」→
 →「子ども:うん。」
 このようにして、出来事や経験と生じた感情を結び付けていきます。さらに、文章にすることを想定してなるべく、時系列的に引き出していきます。

 3)例文を伝える

 ここまでのフォローで文章化できるお子さんもおられるかもしれませんが、もう一つ、フォローを入れます。例文を作り、伝えてあげるのです。ただし、大人が代筆はしません。子どもに自分で書きとらせます。
 子どもは、途方に暮れていた状態から抜け出る目途がついてきますので、一生懸命に大人が言う例文を紙に書いていきます。
 そのうち、「そこはそんな風に思っていない」とか「そんなことを書いちゃ怒られる」など、作られた例文に意見をするようになります。大人は、「じゃあどう書けばいいの?」と聞きます。そうすると、自分の力で修正文を考えます。
 このようなやり取りをしているうちに、下書きが完成していきます。

作文嫌いになる理由

 1)文字数だけが要求される現実

 こんな風に、毎日ブログを書いていますが、子どもの頃の私は本当に作文が苦手で嫌いでした。作文では、先にも述べたとおり、経験したことを文章化して、そこに感情を加え、その理由も書く、しかも順序だててという高度なことが要求されます。にもかかわらず、誰も書き方を教えてくれませんでした。書き方がわからないと子どもなりに言うと、思ったように、感じたように書けばいいと周りの大人は言うばかりでした。そのほかの大人は、自分は作文が苦手だからといってとりあってくれませんでした。この環境は少なからず、現在も続いています。
 このような環境の中で、多くの子どもは作文を書くことを求められ、しかも決して少なくない文字数を書くことを望まれます。書く術を知らないわけですから、ただただ、出来事のみを書き続けたり、面白かったやたのしかったといった単語を連発したりと、内容のない文章を大変な思いの中、綴るしかなくなるわけです。結果、作文のクオリティも上がらず、作文が下手の烙印が押されます。楽しいわけがありませんし、作文を好きにはなれません。

 2)ネガティブ感情を書く術を知らず感情を出せない

 もう一つ、作文が好きになれない理由が昨日、何気なくわかりました。子どもは、ネガティブなことを書くと先生をはじめ大人にに怒られると思っています。そのため、「嫌だ」「しんどい」といったキーワードを使うことに躊躇します。躊躇するため、せっかく出てきた感情であるにも関わらず、作文の文字数にカウントされないのです。
 昨日、私は、ネガティブな感情も文章に落とし込ませました。ただ、落とし込ませる際に、インタビューの中で出てきていたポジティブな話とくっつけ、以下のように、逆にそれを引き立たせるような書き方があるのだと教えました。
 「遠足に行くのは始めはとても嫌でした。だけども行ってみると〇〇のような楽しいことがありました」
 「歩いてとてもしんどかったです。しかし、くたくたになったせいか、そこで食べたお弁当はいつも以上においしかったです。」
 このようにすると、ネガティブな思いも吐き出せ、しかも文字数にもカウントされかつポジティブな文章が作れて、満足したようでした。ただ、こうした手法を知らない状態では、子どもは大人に向けて文章など書けないわけです。
 最後に、今回の記事のタイトルを「子どもに文章を書かせる」ではなく「子どもと文章を書く」としました。文章は、子どもの思いを表現してくれる楽しいもののはずです。そうしていくためにも、書くことを強要するのではなく、思いを引き出しながら面白さを子どもが感じとれる教育をしたいものです。

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